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それでも、日本人は「戦争」を選んだそれでも、日本人は「戦争」を選んだ
(2009/07/29)
加藤 陽子

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日清戦争(1895)以前の、1880-85年頃の日本と清の関係を考えてみます。
一般的には、欧州列強に食い物にされ凋落していく清と、近代化で伸びる日本という構図だと思うのですが、加藤先生は日本と清国と競い合いという構図で見ています。

この頃、李鴻章(りこうしょう)という政治家が清国の強化を図っていました。
強化策のひとつとして周辺国への影響力の拡大です。
清は朝鮮、ベトナムに対して、今までの朝貢体制を改め、1881年には直轄下におきます。

一方の日本からみれば清が朝鮮に影響力を強めていくのは、あまり心地のいいものではなかったと思います。

当事者の李朝朝鮮はもともと中国の華夷秩序に取り込まれていましたが、日本からの影響も無視できなかったので、どちらにつこうか迷っていたようです。

82年には朝鮮で壬後事変(じんごじへん)がおきます。
これは日本派のビン氏を、清国派の大院君(だいいんくん)を支持する軍隊がソウルで反乱をおこすというものです。
この鎮圧に清国が乗り出し、結果として清国はさらに朝鮮への影響力を強めました。

さらに2年後の84年には親日派の人が、清国が清仏戦争に気を取られている隙に甲申(こうしん)事変をおこしますが、これも清国に鎮圧されます。
さらに清は、袁世凱(えんせいがい)を駐さつ朝鮮総理として朝鮮に送り込みます。
どんどん清国は朝鮮に対する影響力を強めていくというわけです。

日本としては、地団太を踏む思いだったでしょう。

そして、翌1885年には日本との間で天津条約を結ぶというわけです。
天津条約は朝鮮に対してはいろいろあるけれど、とりあえずお互い仲良くしましょうねという内容です。

ここまでが1880-85年のいきさつです。
一般的には日本が一方的に朝鮮を狙っていたように思われているようですが、清も朝鮮への影響力を強めようと動いていたのです。

朝鮮は残念ながら当時の軍事力では「自主独立の国」とは言えず、中国と日本の間でどちらにつこうか揺れ動いていたという事だと思います。

現在の日本にとっても、当時の李朝朝鮮はひとごと、過去の事ではありません。
今現在、日本はアメリカの影響下にありますが、今後ますます中国の影響力が増してきたときに、当時の朝鮮のようにどちらの国につこうかなと迷うときが来るのかも知れません。
そうならないために今から策を練る必要があると思います。
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