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2013.05.03 1932年の日本>から(だいたい)の続き


それでも、日本人は「戦争」を選んだそれでも、日本人は「戦争」を選んだ
(2009/07/29)
加藤 陽子

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一般的には満州国を認めない連盟に反発して、日本が連盟を脱退したと説明されています。
しかし、私には脱退以外に方法はなかったのかと不思議にも思っていました。
連盟に留まり状況を改善することもできたのではないかと思っていました。

しかし、著者の加藤氏によると積極的に脱退したと言うこととは違うようです。
連盟から制裁を受け、不名誉な扱いをされるのを恐れて仕方なく脱退したと言うのが本音のようです。

それでは連盟が日本に制裁を加えるとは、どういうことでしょうか?
連盟の規約16条はこうなっています。
「連盟が解決に努めているとき、新たな戦争に訴えた国はすべての連盟国の敵とみなされる」
日本はこの規約により、連盟からの不名誉な制裁(最悪除名)を恐れたのです。

「連盟が解決に努めて」いたのは、満州事変です。
それでは「新たな戦争」とは何でしょうか?

あまり知られていませんが、熱河侵攻という日本が満州の一地方に対する攻撃がありました。
熱河は満州の一地方でしたが、張学良の勢力範囲でした。
日本はその熱河省に侵攻して、張学良の勢力を一掃しようとしました。
これが「新たな戦争」です。
この熱河侵攻により連盟規約16条に抵触し制裁を加えられるのを恐れて、それなら先に脱退しようと考えたようです。


1931年 満州事変
1932年 リットン報告

1933年
2月17日 熱河攻撃を閣議決定
2月20日 条件により連盟脱退を閣議決定
2月22日 熱河侵攻
2月24日 松岡が連盟総会の議場から退場
3月27日 国連脱退

この記事はこちらの記事を参考にさせていただきました。ありがとうございました。
飛耳長目 国際紛争の心理 熱河侵攻の問題点 側近が守ろうとした皇室の権威
nozawa22 さかのぼり日本史 分岐点 熱河侵攻裁可

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