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1932年の日本は、今の常識から考えると異常な状態だったと考えられます。
世直しのためなら、暗殺さえも肯定される雰囲気があったようです。

この年五・一五事件が起こりました。
現職の総理大臣、犬養毅が殺害されるという、大変ショッキングな事件が起こりました。
いかなる理由があれ、総理が殺されたのですから、犯人は非難されそうなものです。しかし当時の国民の様子はそうでもなかったようです。
犯人の青年将校は軽い処分(どんな処分かわかりませんが)で済んだようです。
この辺に、この時代の今から見た異常さを感じます。

五・一五事件の3ヶ月前にも同じように暗殺事件がありました。
血盟団事件といい、2月には前大蔵大臣の井上準之助。
3月には三井財閥の中心人物、団琢磨が暗殺されています。
この時の犯人も、思いのほか軽い処分で終わっています。

五・一五事件でも血盟団事件でも、なぜ犯人は軽い処分で終わったのでしょうか?

背景には、不況=>貧富の差の拡大=>政治、資産家に対する不満+社会主義の台頭=>世直しが必要=>暗殺もOK
 というような考え方があったようです。

1932年当時、日本は不況の真っ只中だったようです。1923年の関東大震災、27年の金融恐慌、29年から始まった世界恐慌、30年アメリカの保護貿易。不況になる原因が次々に襲ってきました。

その中で、貧富の差が激しくなり、国民の不満は政治家、資産家に集まっていました。
そのような時、社会主義思想が注目されだします。
資本主義ではいけない。世直しが必要、世直しのためなら暗殺も許されるという雰囲気があったようです。

その中でおきた、血盟団事件、五・一五事件。

国民の一部から犯人の減刑に対する嘆願書が提出されたこと。
世直しのためなら、暗殺も許されるという雰囲気が一部の日本人のなかにあった。
私は殺人犯に対する軽い処分を考えるとそう考えざるおえないのです。

この記事は 黒田裕樹の歴史講座 政党内閣の崩壊 その4 を参考にさせていただきました。ありがとうございました。

<2013.02.27 1933連盟脱退 もうひとつの側面 熱河侵攻>に(だいたい)続く
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