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イギリスの歴史【帝国の衝撃】―イギリス中学校歴史教科書― (世界の教科書シリーズ34)イギリスの歴史【帝国の衝撃】―イギリス中学校歴史教科書― (世界の教科書シリーズ34)
(2012/02/29)
ミカエル ライリー、ジェイミー バイロン 他

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民族自決とは、その国の事は、その国の民族が自分で決めるという考え方です。
大変けっこうな考え方ですが、植民地を持つ帝国としては、受け入れがたい考えだと思います。

しかし第一次大戦後(1914-)も、民族自決が唱えられた。
大戦の戦勝国であるイギリス、フランス等の帝国にとっては、民族自決とは不都合な考え方であるにも関わらず、民族自決が唱えられました。

では、何故に民族自決などと言ったのか。やはり戦勝国にとってその方が都合が良い事があったからです。
例えば中東においては、大戦前のオスマン帝国(敗戦国)の植民地である、中東の地をオスマン帝国に手放させる方便として用いた。
その土地は、そもそもオスマン帝国の土地にあらず、他のアラブ民族(シリア、イラク、クルド等)の土地である。
だから、民族自決の考え方により、オスマン帝国の手から開放して、各民族の土地とすべきという方便です。

何故これが方便であるかというと、実際には「委任統治」という形でしばらくは戦勝国のイギリスがイラクを統治していたからです。事実上、植民地化していたからです。
それでは何故イラクかと良いますと、大戦前の1908年あるイギリスの会社がイラクに石油を掘り当て、イギリスとしてはその権益を守りたかったのです。

戦勝国にとって、民族自決とは、そういう時に都合よくつかう言葉だったのです。

ですからアジア・アフリカ地域においては、その後も植民地であることは変わらなかった。
パリ講和における、日本の人種差別撤廃提案も否決されていた。
相変わらず、戦勝国(イギリス、フランス等)の植民地支配は続いていたのでした。
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