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中韓が事あるごとに、日本は正しい歴史認識が必要と言います。
私もなるほどそれはそうだと思い、いろいろ調べています。
しかし調べれば調べるほど、日本が一方的に悪だとは思えないのです。

例えば、教育出版の中学生向けの歴史の教科書にはこの様な記述があります。
日中戦争のはじまり

なるほど、日本は1937年7月7日(廬溝橋事件)から、中国への「侵略」を開始したようです。
日本は大陸への野心があり、侵略のチャンスをねらっていたのでしょう・・・って思ってしまうのですが、
どうも日本はあまり闘いたくなかったようなのです。

日本の近衛内閣は廬溝橋事件から39日後の8月15日になるまで、なんとか戦いをしないようにしていたのです。

8月15日近衛内閣はこの様な事を言ってます。
「もはや隠忍(いんにん)その限度に達し、支那軍の暴虐を膺懲(ようちょうし:こらしめるの意)南京政府の反省を促す」
「もうがまんができない!中国軍をこらしめてやる」という意味です

一体何を日本は我慢していたのでしょうか?
この40日の間にいろいろな事件があります。

7月25日 郎坊(ろうぼう、北京近郊)事件。日本軍の死者14名
7月26日 広安門(北京)事件 日本軍死傷者19名
7月29日 通州事件(つうしゅうじけん、北京郊外)では、日本の民間人223名が虐殺され、女性はほとんど強姦されています。
8月14日、中国軍の上海租界への空爆により3000人以上の死傷者がでています。

詳細は省きますが全て中国軍がしかけてきた戦いです。
しかけてきたのはいつも中国軍です。中国が積極的に戦争を望み、日本はなるべく避けようとしてきたのです。
日本は中国の挑発にがまんしてきたのです。

さらに言えば7月19日時点ですでに国民政府の蒋介石(しょうかいせき)は戦闘を明言します。「最後の関頭」演説です。
蒋介石が戦闘を明言(最後の関頭)したのが7月19日、廬溝橋事件の12日後です。
それから27日後(約一ヶ月)の8月15日になって、やっと日本の近衛内閣が戦闘を明言したのです。

戦争をさけようとしていたのは日本で、積極的だったのは中国ではなかったのでしょうか?
そういえばこんな本もあります。

日中戦争−戦争を望んだ中国 望まなかった日本日中戦争−戦争を望んだ中国 望まなかった日本
(2008/10/23)
林 思雲、北村 稔 他

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私はまだ読んでいませんが、近いうちに読んでみたいと思います。

メモ

・宣戦布告について

先の教科書の記述では、日本だけが宣戦布告をしなかったようにかかれていますが中国も同じです。
教科書の記述だけでは、日本だけが宣戦布告をしない「卑怯者」のような印象をあたえますが、宣戦布告をしなかったのは中国も同様です。

それでは何故両国とも宣戦布告をしなかったかというと、そのほうが両国とも都合がよかったカらです。
宣戦布告をするということは、戦争をすると明言する事です。

戦争を始めると、他の国は国際法上中立でなくてはなりません。
もしどちらかの国を支援したとなると、反対の国からは敵国とみなされ戦争に巻き込まれてしまうからです。

日本は他の国から浮いてしまうのを恐れていたし、中国は他国の援助をもらえなくなるのを恐れていたのです。
そのために両国とも宣戦布告をしなかったのです。
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