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赤ヘル1975赤ヘル1975
(2013/11/28)
重松 清

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僕の中にあったばらばらの広島がつながり意味を持ちました。

1945年広島には原爆が投下され、10万人もの人が亡くなっています。
実に人口の1/3の人が亡くなっているのです。

僕は原爆に興味を持っていませんでした。
原爆でも多くの人が死んだのは知っていたけど、死んでいった人たちの生活や、遺族の心情、広島の社会に与えた影響などは考えてみることもありませんでした。

1975年(原爆から30年)広島カープはリーグ優勝しました。
僕は野球にも興味がなかったので、この年すでに中1にもなっていたのに、その時の様子は覚えていません。
重松は75年のカープの優勝を縦軸に物語を紡いでいます。
そこには原爆の傷がいえないヒロシマの人たちがいました。

1980年(原爆から30年)吉田拓郎(当時34歳)が「いつも見ていたヒロシマ」という楽曲を発表しています。
(僕はこの年この曲が収録されているアルバム「アジアの片隅で」を買っています)



拓郎は8月の広島をその暑さとともに「癒せない、満たせない、慰めもない」と歌ってます。
重松もこの時期広島市内で繰り広げられる平和運動のやりきれなさを画いています。

そして拓郎は「よそモン」でもあります。
鹿児島生まれの、広島育ちのよそモンなのです。
拓郎がよそモンになったのは1955年(原爆から10年)9歳でした。
よそモンには、本当の本当のヒロシマがわからないのです。
「いつもいつも遠くからみていた広島」なのです。

なぜ左翼にとって広島はヒロシマで、福島はフクシマなのか。
左翼の人にとって、広島は以前からの広島であったり、ハイカラなHiroshimaではいけない。
同じ理由で福島は福島やFukusimaではいけないのです。

今のカープファンは75年のそれではない。
原爆から69年、100万都市となったカープファンは、そのほとんどは「よそモン」です。
ヒロシマは忘れてはならないけれど
たぶん、答えをみつけられぬまま忘れられていくのでしょう。
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